創業Bernie Chavez Rico(1941~1999) は1941年にLos Angeles東部に生まれた。彼の父もギター職人であり、顧客は主にメキシコ系ミュージシャンであった。Bernie Ricoは1953年頃から父の店で働き始め、コアでウクレレを作っていた。またバンジョーのネックを別 のメーカーのものに付け替えたり、マーティンのギターを12弦に改造する仕事もしていた。 ラテン語読みのRicoを英語風にRichと変えてブランド名にしたのは1966年頃である。 68年まで300本程度のアコースティックギターを製造していた。 1968年に初めてB.C.RichブランドのElectric Guitarが発表された。70年初期まではフェンダー、ギブソンタイプのカスタムメイドを作成していたが、72年に発表されたSeagullによってスルーネック、アクティブエレクトロニクスのB.C.Richが確立された。エレクトリックに移行したきっかけは、ある顧客がフェンダーのネックを持ってきてそれにあうボディ作成の依頼があったことである。これにより配線についての知識をつけることになった。 最初に作られたB.C.Rich Bass (Mal Stich氏提供)今のB.C.Richとは全然違う印象を受ける。 B.C.RichのコンセプトとしてBernieが考えていたものは、スルーネック等のネック形状、カスタムペインティングの品質というものであったようだが、実際にメディアで取り上げられるのは変型ギターということだけだったことにBernie自身参ってしまっていたようである。Bernieはヒールレス・スルーネックを世界で初めて取り入れたパイオニアである。当時アレンビックやリック・ターナーといったビルダー達とスルーネックのメリットについて話し合ったそうである。B.C.Richは当初からHeavy Metalギターとみなされたいた。 Heavy Metalがなければ現在の商業的成功はなかったであろう。しかしこれが80年代中期以降の安物を生み出す一因にもなっている。 1984年からNJ(Nagoya Japan)シリーズ(B.C.Ricoも含まれる)として海外生産が開始される。86年の急激な円高によってこの生産拠点は韓国に移ることになる。 そして90年から93年までの間、Bernie RicoはClass AxeにB.C.Richの名前を貸して会社経営から手を引いてしまう。この3年間に製造されたものはマニアの間ではB.C.Richとして認識されていない。日本ではテイハツ時代がこれにあたる。94年にBernieの元にふたたび経営権が戻ったが惜しくも99年に亡くなられた。現在は息子のBernie Rico Jr.がビルダーとして会社に残っているが、B.C.Rich社はHHIに買収されている。Bernie没後、Vintage B.C.Richの価格はU.Sで急騰している。 SeagullオリジナルのSeagullは72年発表となっているが、74年時点ではまだ16本しか存在しておらず、大半は出荷前であった。よって、オリジナルSeagullは実際は1976年までの二年から二年半の期間しか製造されておらず、76年にEagleになるまで、数回の仕様変更が行われる。まず、ボディが少し薄くバインディングとピックガードが省略され、回路もフルエレクトロニクスでないものがSeagull Jr.として誕生する(Vintage File No.3)。次に上のホーンの突起が取り除かれたPointless Seagull、そしてEagleのアッパーホーンを短くしたようなSeagull2へと変遷していくが、これらは非常に数が少ない。レギュラーラインでは製造中止になったSeagullであるがその後もスポットでごく少量 製造されており、これらは特殊な仕様のものが含まれている。オリジナルはマホガニーのものが標準で、建国200周年記念モデルはブラジリアンローズウッド(ハカランダ)が使用されている。ピックアップはギルド、ギブソン。 スノーフレークインレイ、エボニーフィンガーボード、タップはリアのみ。 スルーネックを最初に採用されたのはこのSeagullからである。アクティブエレクトロニクスはニール・モーザーの手によるものである。 これは78〜79年製のコア5ピースのものである。ピックアップはディマジオ、コントロールも同年代の他のモデルと同様ものもが採用されている。Seagullが進化して、Eagleになったことが容易に想像できる。 AcousticsB.C.Richはもともとアコースティックギターを製造していたが、1982年にヘッドクラフトマンが亡くなったため アコースティックは製造中止となった。その後、インポートモデルやカスタムショップ製でアコースティックが 復活している。 これはオリジナルのアコースティックであるB-28である。1975年製で、ハンドメイドである。スプルーストップ、ネックはマホガニー、フィンガーボードはエボニー、サイド、バックはindian
rosewoodが使用されている。 MP3サウンドファイル
これは B-38である。違いはサイド、バックともハカランダが採用されていること(Mal Stich氏提供)
Eagleef1975年にオリジナルSeagullのデザイン手直しによりSeagull IIを経て1976年にSeagullの名前は姿を消しEagleが誕生する。EagleによってB.C.Richの基本が完成する。すなわち、ソリッドコア、メイプルのネック、 ウィングによるサンドイッチ構造、ヒールレススルーネック、グローバーインペリアルペグ、バダスブリッジ、ディマジオDual Sound(Super Distortion) 、PAFピックアップ、ストラップロック、ブースター、バリトーンスイッチ、コイルタップ、フェイズアウト回路である。輸入当時の日本での定価は45万円。雲形インレイ、バインディングありのSupremeは48万円であった。ビッチとほぼ同等の回路を持つSpecialも初期に存在した。
Mockingbirdef1976年にJohnny GoGoという男がデザインしニールモーザーが名付け親になったのがモッキンバードである。輸入当時の日本での定価は45万円。雲形インレイ、バインディングありのSupremeは48万円であった。なお、バリエーションとしてショートホーンタイプが少数存在する。下のつのが短く上の胸に当たる部分が長くなっているもので、80年代初期まで製造された。Eagle同様Specialも存在する。最初にデザインされたはのはロングホーンだったが、ストラップを付けて弾いたときのバランスの悪さを改善するために後にショートホーンが発売された。ユーザーは格好か、弾きやすさか、の選択が可能だった。 Bichef1977年、ニール・モーザーがBichを開発する。最初の試作は77/9月に製作されたPROTO 9-77のシリアルを持つ個体である。画期的な10弦ギターであり、最初のロットは50本製造された。それらは全てダイヤインレイである。ジョーペリーのBichはローズ製と言われているが、書籍の写 真等で見られる傷から伺える木目はメープルのようである。また、輸入当時の日本での定価は63万円。
その他のモデルef81年にWarlock、本サイトでは扱わないが、82年Ironbird 83年Stealth、Wave 84年Eagle Arched Top、86年ST-III、Gunslinger、Assassin等が発表されている。
参考文献 Guitar Graphic Vol2. 以下にGuitar Graphic Vol2の元ネタになったVintage Guitar Magazineの訳を記載する。実際はかなり間違った内容が多く、後にNeal Moser本人より特にBichに関して訂正されている。
一つの観点から、フラメンコとヘビーメタルは太陽と月ほどかけはなれているかもしれないが、双方のジャンルが非常に情熱的であるという共通 点を考えれば、そこには確かに精神的な繋がりがある。概念的な話は置いておいて、そこにはもっと具体的な繋がりがBernie Rico、ギター界の最も華やかなB.C.Rich ギターを支える男の中にあるのだ。 L.A東部に生まれる Sabicas アコースティックの見習い 名前の由来 Electrics この年、顧客の一人がフェンダーのネックをもってきて、これにあうボディーを作ってくれるよう頼んでいった。”ギターが組み上がるとどうやって配線するかのアドバイスを受けるためにハリウッドまで行かなければならなかったことを覚えているよ。”リコは回想する。以来リコはエレクトリック街道を突き進み振り返ることはなかった。 リコのカスタムギターは基本的にギブソン、フェンダーモデルで彼のトレードマークである変形ギターが登場する70年代初期まで作られた。そしてB.C.Richは伝説になっていった。 GibsonのコピーとSeagull ヒールレスネックジョイント B.C.Rich ギターはオレゴン州セーラムにあるギブソンの親会社であるノーリンの傘下にあったL.D.Heaterによって販売された。このコネクションのおかげで、B.C.Richはギブソンのピックアップを仕入れることができ、極初期のモデルにはギブソンのハムバッカーが採用されていた。しかしながら、B.C.Richはコイルタップやフェイズリバースなどを特徴としていたため、ギブソンのピックアップは分解され4芯シールド改造されなければならず、言う間でもなくそれは非常に手間であった。B.C.Richギターが売れはじめL.D.Heaterコネクションからその分解改造事実を知ったギブソンが不快を表明したため、ギブソンのピックアップを使うことは長くは続かなかった。 DiMarzio、そして自社販売へ Eagleのように飛べ(Fly like an Eagle) Imports: B.C.Rico 不幸なことに、B.C.Ricoは法律上の問題で消えることになった。Rico Reed companyがRICOブランド名の使用許諾を巡ってB.C.Richを訴え、最初のB.C.Ricoは結果 がでるまで出荷差し止めになったのである。RICOはバーニーの名字なので、B.C.Richは当然RICOの名前を使うことができた。しかしながら判決が下されるまでの間B.C.Richはどこで作られたギター(NJ、プラチナシリーズ等)に対しても単にB.C.Richブランドをつけて販売してしまった。このごたごたの結果 として最初のB.C.Ricoとして輸入されたものは非常にレアで、そのブランドが廃止されるまで150本程度しか輸入されなかった。 管理者コメント:これは興味深いですね。本当に76年かどうかは怪しいのですが、すくなくともWaveのB.C.Ricoブランド品があるのでもう少し年代的に新しいと思います。。日本では訴訟問題は関係なかったので普通 に売られたのでしょう。日本での発表は80年代初期だったと思いますが、マーケットはおそらくアメリカで輸出用がメインだったと思われます。もし本国で訴訟問題がなければ、今のように安物B.C.Richは存在していなかったと思うと残念でなりません。 モッキンバードを聴け(Listen to the
Mockingbird) Bichin' guitars 最初のビッチはリコの下で10弦ギター開発を考え続けていたNeal Moserのコンセプトによる10弦ギターだった。なぜ10弦なのか?答えは簡単である。実質的に12弦と同じだが、多すぎる弦を省いたのだ。基本的に、オクターブの違いや巻弦、プレーン弦による音質の違い(12弦ギターのユニゾンとは対比的に) を高音部リードプレイ用に採用した。同様に、それはリュートのアイディアを拡張したもので、リュートでは一弦のみ単音でメロ ディーを弾くために用いられそれ以外は副弦構成になっている。 誰が実際のB.C.Richデザインの責任者かということは、報告されているものとは少し違っているようである。リコの回想によれば、初期のB.C.Richデザインはビッチも含め複数の人のアイディアをだした共同作業で決まったようである。”全ての従業員がアイディアも持っていた。我々はそれを出し合い、形にしていった。ギターの形を切り抜いて高く掲げて”どう思う?”と言うと誰かが ”ここは少し切った方がいい”と言う。そしてそこを切ってみる。というふうにね。” 管理者コメント:この記事は全面的に間違いです。実際のデザインはNeal Moser氏一人によって行われました。これはB.C.Richの真実 by Mr. Neal Moserを参照下さい。 殆どのB.C.Rich ギター、特にスルーネックはハンドメイドだったためその製造作業は多くの熟練メキシコ人職人によるハンドカービングに頼っていた。その手作業の要素が初期のB.C.Richは同一モデルなのに沢山のバリエーションがある理由である。 Sons of a Rich and B.C. Charvels
Economy Nighthawks Warlock Six-in-line Acoustic hiatus Ironbird Riding the Waves Stealth bomber Widow Other rare birds ファットボブはリコのバイク好きが反映されている。”当時私はハーレーダビッドソンに乗っていた。私は三台のハーレーを持っていて、そのうちの一台がファットボブというモデルだった。 我々はハーレーのガソリンタンクのようなボディのギターを作ったらかっこいいのではないかと思ったんだ。純正のタンクキャップをギターに取り付けるために、地元のディーラーから大量 にキャップを買い込んだよ。” 全ての製造期間を通して、ダブルネックは35本程度しか製造されなかった。これらは全て特注品だった。 Telecasters その他のレアギターとしてテレキャスタータイプのTS-100/200がある。”我々はテレキャスターを作ったことがなかった。だけど作らなければならなかったんだ。それらは15本から20本程度しか作られなかったよ。” Jazz Boxes 最後に、RTJGとRTSGというジャズギターもあげられる。L.Aのジャズギタリスト、Bill Contiへのアイディアが取り入れられている。”ContiはとてもB.C.Richを気に入ってくれていて、よく使ってくれていた。どうやって、実際に会ったことのない人への贈り物としてギターをデザインすればいいだろうか?私はアーチドトップのジャズギターで24フレットのヒールレススルーネックのギターを作ったんだ。最終フレットにはContiのインレイを埋め込んだ。” NJ Series imports B.C.Richは80年代中期までに大変な成功をおさめており、ディーンやクレイマーといった他のアメリカンブランドと同様海外生産に踏み切った。リコは83年の終わりに日本を訪れいくつかの工場をまわった。リコは日本の工場はアメリカの殆どの工場よりも品質管理が進んでいると感じた。その結果 アメリカのデザインのコピーであるNJシリーズが登場した。大部分の人はNJをニュージャージーと思うだろう。それは後にB.C.Richの本社がニュージャージーに移ったため容易に想像できるが、それは間違いである。NJとはNagoya Japanの意味であり、86年までNJシリーズは寺田氏と飯田氏によって作られていた。 335s and Diamonds その他のこの時期のインポートものとして335 standardという容易に想像できるシンラインエレクトリックアコースティックモデルとダイアモンドシリーズというサウンドホールがダイアモンド形をしたシングルカッタウェイアコースティックギターに内蔵ピックアップが搭載されたモデルが登場している。このピックアップは寺田氏によって作られた。 他のメーカーと同様、その後まもなく韓国に主要モデルの製造拠点を移すことになった。84年にはアイアンバードに代表されるようなU.S.production シリーズが発表される。これは主要な部品が韓国で製造されたボルトネックギターで、部品はカリフォルニアの工場に送られ、組み立て、塗装がされていた。 管理者コメント:つまり、U.S製であってもhand madeでないモデルがある、ということです。最後にネジ一本でもU.Sでしめて出荷すればそれはMade in U.S.Aなのです。 84年6月のカタログには以下のギターが載っている。
84年の U.S. Production Seriesカタログには以下のギターが載っている。 Korean NJs Raves and Platinums これらの殆どはB.C.Richの代表的なモデルのコピーであり、もっとも多かったのはビッチタイプであった。 Assassination 86年からB.C.Richは自社製のピックアップを製造しはじめ、それは89年まで製造された。 Strats 殆どのこれらストラトスタイルギターは似たようなものだったが、中にはキルトトップメープルを採用したような豪華なカスタムモデルも存在した。 他のストラトスタイルとして面白いものにOutlawがある。これはST-IIIにドリルで穴をあけてハンドルをホーンに付けたようなギターである。最大で直径2インチの穴が開けられていた。穴はべベル加工されており、どんなボディーカラーでも穴の中は黒く塗られていた。同時期にInnovation Bassも発表されている。 いつからリバースヘッドに変更されたか聞いてみると、”変更したわけではないよ。リバースヘッドを追加してくれ、と頼まれただけさ。それをもっとポピュラーなストラトスタイルにも適用したんだよ。”とリコは答えた。 Class Axe Platinum Ironbird, Bich, Warlock and Virgin guitars and basses. The Virgin was sort of a hybrid with a Warlock upper bout and a bell-shaped rounded lower bout designed by Class Axe in conjuction with Neil Moser. The NJ Series in that catalog included the Warlock, the ST superstrat and the Outlaw, which has become basically a Gunslinger with a reverse headstock. Also in the NJ Series were the ST, Mockingbird, Bich, Ironbird and Warlock which were built in Japan and assembled in California. 88年に、リコはPlatinumとRaveの名前をClass Axeにライセンスしている。実質インポートものはClass Axeがマーケティング、販売を行った。 Vacation Mason Bernardギターは基本的にAssassinのようなスーパーストラトタイプのSSHレイアウトデザインである。”これは私が最大限に計算し尽くして作った最初のギターだ。値段のことは度外視して、ベストになるように作ったんだ。ディマジオは特別 にデザインしたピックアップを提供してくれたよ。”約225本のMason Bernardが90年から91年にかけて製造された。 Back Home Again Accoustics again Dating 管理者コメント:75年のシリアルは6桁のものしか確認されていません。最初の一桁が製造年末尾、次の二桁が製造月、最後の三桁が製造番号です。五桁になったのは76000のシーガルダブルネックからではないかと推測します。 70年代後半になると製造本数が増えたためシリアルが先行してしまう。そう、このシステムでは年間1000本までしか表せないからだ。80年には実際の年よりもシリアルはニ、三年位 先に進んでいた。 80年に購入されたベースは82595だった。年間を通してスルーネックは2200本を越えて作られることはなかった。80年代に入ってもこの差はどんどん開いて行った。81年には5年程シリアルが先行しており、この差はリコが会社を辞めるまで続いて行った。 ボルトオンネックはもっと不正確である。シリアルはネックプレートにプリントされ塗装が終わると誰かがプレートを箱からもってきて取り付ける。同じ五桁のナンバリングシステムであっても、89321のシリアルは87年製と思われるが、それよりも多少前後している可能性があるのだ。 Denouement
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Vintage B.C.Rich Maniacs!
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