B.C.Richの歴史 (rev.Oct/18/2002)

創業

Bernie Chavez Rico(1941~1999) は1941年にLos Angeles東部に生まれた。彼の父もギター職人であり、顧客は主にメキシコ系ミュージシャンであった。Bernie Ricoは1953年頃から父の店で働き始め、コアでウクレレを作っていた。またバンジョーのネックを別 のメーカーのものに付け替えたり、マーティンのギターを12弦に改造する仕事もしていた。 ラテン語読みのRicoを英語風にRichと変えてブランド名にしたのは1966年頃である。 68年まで300本程度のアコースティックギターを製造していた。

1968年に初めてB.C.RichブランドのElectric Guitarが発表された。70年初期まではフェンダー、ギブソンタイプのカスタムメイドを作成していたが、72年に発表されたSeagullによってスルーネック、アクティブエレクトロニクスのB.C.Richが確立された。エレクトリックに移行したきっかけは、ある顧客がフェンダーのネックを持ってきてそれにあうボディ作成の依頼があったことである。これにより配線についての知識をつけることになった。

最初に作られたB.C.Rich Bass (Mal Stich氏提供)今のB.C.Richとは全然違う印象を受ける。

B.C.RichのコンセプトとしてBernieが考えていたものは、スルーネック等のネック形状、カスタムペインティングの品質というものであったようだが、実際にメディアで取り上げられるのは変型ギターということだけだったことにBernie自身参ってしまっていたようである。Bernieはヒールレス・スルーネックを世界で初めて取り入れたパイオニアである。当時アレンビックやリック・ターナーといったビルダー達とスルーネックのメリットについて話し合ったそうである。B.C.Richは当初からHeavy Metalギターとみなされたいた。 Heavy Metalがなければ現在の商業的成功はなかったであろう。しかしこれが80年代中期以降の安物を生み出す一因にもなっている。 1984年からNJ(Nagoya Japan)シリーズ(B.C.Ricoも含まれる)として海外生産が開始される。86年の急激な円高によってこの生産拠点は韓国に移ることになる。 そして90年から93年までの間、Bernie RicoはClass AxeにB.C.Richの名前を貸して会社経営から手を引いてしまう。この3年間に製造されたものはマニアの間ではB.C.Richとして認識されていない。日本ではテイハツ時代がこれにあたる。94年にBernieの元にふたたび経営権が戻ったが惜しくも99年に亡くなられた。現在は息子のBernie Rico Jr.がビルダーとして会社に残っているが、B.C.Rich社はHHIに買収されている。Bernie没後、Vintage B.C.Richの価格はU.Sで急騰している。

Seagull

オリジナルのSeagullは72年発表となっているが、74年時点ではまだ16本しか存在しておらず、大半は出荷前であった。よって、オリジナルSeagullは実際は1976年までの二年から二年半の期間しか製造されておらず、76年にEagleになるまで、数回の仕様変更が行われる。まず、ボディが少し薄くバインディングとピックガードが省略され、回路もフルエレクトロニクスでないものがSeagull Jr.として誕生する(Vintage File No.3)。次に上のホーンの突起が取り除かれたPointless Seagull、そしてEagleのアッパーホーンを短くしたようなSeagull2へと変遷していくが、これらは非常に数が少ない。レギュラーラインでは製造中止になったSeagullであるがその後もスポットでごく少量 製造されており、これらは特殊な仕様のものが含まれている。オリジナルはマホガニーのものが標準で、建国200周年記念モデルはブラジリアンローズウッド(ハカランダ)が使用されている。ピックアップはギルド、ギブソン。 スノーフレークインレイ、エボニーフィンガーボード、タップはリアのみ。 スルーネックを最初に採用されたのはこのSeagullからである。アクティブエレクトロニクスはニール・モーザーの手によるものである。

これは78〜79年製のコア5ピースのものである。ピックアップはディマジオ、コントロールも同年代の他のモデルと同様ものもが採用されている。Seagullが進化して、Eagleになったことが容易に想像できる。

Seagull/Seagull II

Acoustics

B.C.Richはもともとアコースティックギターを製造していたが、1982年にヘッドクラフトマンが亡くなったため アコースティックは製造中止となった。その後、インポートモデルやカスタムショップ製でアコースティックが 復活している。

これはオリジナルのアコースティックであるB-28である。1975年製で、ハンドメイドである。スプルーストップ、ネックはマホガニー、フィンガーボードはエボニー、サイド、バックはindian rosewoodが使用されている。
シリアルは手書きでネックのジョイント部に502338と記載されている。アコースティック自体めったに見ないが さらにこれはピックアップも内蔵しており、1 Volume 1 Toneのコントロールも持っている。

MP3サウンドファイル


これは B-38である。違いはサイド、バックともハカランダが採用されていること(Mal Stich氏提供)

Eagleef

1975年にオリジナルSeagullのデザイン手直しによりSeagull IIを経て1976年にSeagullの名前は姿を消しEagleが誕生する。EagleによってB.C.Richの基本が完成する。すなわち、ソリッドコア、メイプルのネック、 ウィングによるサンドイッチ構造、ヒールレススルーネック、グローバーインペリアルペグ、バダスブリッジ、ディマジオDual Sound(Super Distortion) 、PAFピックアップ、ストラップロック、ブースター、バリトーンスイッチ、コイルタップ、フェイズアウト回路である。輸入当時の日本での定価は45万円。雲形インレイ、バインディングありのSupremeは48万円であった。ビッチとほぼ同等の回路を持つSpecialも初期に存在した。

Mockingbirdef

1976年にJohnny GoGoという男がデザインしニールモーザーが名付け親になったのがモッキンバードである。輸入当時の日本での定価は45万円。雲形インレイ、バインディングありのSupremeは48万円であった。なお、バリエーションとしてショートホーンタイプが少数存在する。下のつのが短く上の胸に当たる部分が長くなっているもので、80年代初期まで製造された。Eagle同様Specialも存在する。最初にデザインされたはのはロングホーンだったが、ストラップを付けて弾いたときのバランスの悪さを改善するために後にショートホーンが発売された。ユーザーは格好か、弾きやすさか、の選択が可能だった。

Bichef

1977年、ニール・モーザーがBichを開発する。最初の試作は77/9月に製作されたPROTO 9-77のシリアルを持つ個体である。画期的な10弦ギターであり、最初のロットは50本製造された。それらは全てダイヤインレイである。ジョーペリーのBichはローズ製と言われているが、書籍の写 真等で見られる傷から伺える木目はメープルのようである。また、輸入当時の日本での定価は63万円。

その他のモデルef

81年にWarlock、本サイトでは扱わないが、82年Ironbird 83年Stealth、Wave 84年Eagle Arched Top、86年ST-III、Gunslinger、Assassin等が発表されている。

 

参考文献 Guitar Graphic Vol2.

以下にGuitar Graphic Vol2の元ネタになったVintage Guitar Magazineの訳を記載する。実際はかなり間違った内容が多く、後にNeal Moser本人より特にBichに関して訂正されている。

 

一つの観点から、フラメンコとヘビーメタルは太陽と月ほどかけはなれているかもしれないが、双方のジャンルが非常に情熱的であるという共通 点を考えれば、そこには確かに精神的な繋がりがある。概念的な話は置いておいて、そこにはもっと具体的な繋がりがBernie Rico、ギター界の最も華やかなB.C.Rich ギターを支える男の中にあるのだ。

L.A東部に生まれる
Bernardo Chavez Ricoは1941年にヒスパニック住民が多いL.A東部に生まれた。ギター一家だったため、Bernie Ricoはギターに根付いた文化で育った。彼の父親、Bernardo Mason Ricoは地元のラテン音楽楽団やマリアッチオーケストラで演奏するメキシコ系ミュージシャンに多くの顧客をもつギター製作者であり、ギター、ビュエラ、レキント等の楽器を作るショップをL.Aに持っていた。彼はパーツもメールオーダーで販売していた。リコショップは1947年頃はヴァレンシアギターショップとして知られていたが、後にカーサリコと改名した。Bernardoが父の仕事を手伝うようになってからBernardo's Guitar Shopと知られるようになった。

Sabicas
リコは若い頃からギターを弾き始め、主にフラメンコ、クラシックのギタリストだった。”私はサビカスがL.Aに来たときに彼からギターを教わった。彼はメキシコで闘牛を見るのが好きで、メキシコに行く途中でよくL.Aに立ち寄ったんだ。彼のところにやってきた全てのミュージシャンともあったよ。若いパコデルシアやモントーヤもいた。モントーヤはよくサビカスと自分を比較して、”自分がトリなんだ!”と言っていたよ。 私は偉大なMario Escuderoからも3年間ギターを教わり、非常に弦高の高いギターを弾く術も学んだけど、サビカスの影響が一番大きかった。彼と私はゴッドファーザーと息子のようなものだった。”

”私はあのときのことを決して忘れないな。”リコは回想しながら微笑する。”サビカスがもう疲れたからお前が弾けって言うんだ!私が弾きだすと彼はセカンドギターを弾いた。とてもナーバスだったけどとても素晴らしい思い出だよ。”

アコースティックの見習い
リコは1953か54年頃から父の店で働き出し、コアでウクレレを作っていた。”知ってるだろ。”リコが言った。”ウチの犬は蚤だらけ!”もしあなたがウクレレを演奏したことがあるなら、この言葉の意味がわかるだろう。その後まもなくアメリカンフォークミュージックのブームが始まり、父の店でもバンジョーを作ったり、他のブランドにネック交換をしたいたと回想している。”1964以前はマーティンのギターを12弦にコンバートすることもよくやった。64以前はマーティンは12弦を作っていなかったからね。”そのころスティールギターも何本か作ったようである。”バンジョーと働いていた。”リコは話す。”バンジョーから全て教わったんだ。トーンや音色、テンションのことやスタッドの位 置についてね。” ある意味、サビカスはギタープレイだけでなく、ギター作りについてもリコに多大な影響を与えたと言えるだろう。ある日、サビカスは傍らにリコを寄せこう言った。”息子よ、私はお前が私のために作ってくれたギターが弾きたいんだ。”Bernie Ricoは最初のギターをサビカスのために作ったのだ。

名前の由来
Bernie Ricoはアコースティックギターを作り続けた。しかしながら、60年代半ばまではギターの購買層はカントリーミュージシャンであったため、Bernie Ricoの名前はカントリープレイヤーには知れ渡っていなかった。奇遇にも、リコにはボビーリッチという名の友人がおり、彼はヒスパニック系のステージネーム、ロベルトリコと名乗っていた。これと逆のプロセスによって、バーニーリコは彼のギターをB.C.Richと名付けた。よって、B.C.Richの名前はリコの友人ボビーから由来しているとも言えるが、実際はリコのファミリーネームを英語風に直しただけなのである。この名前の変更は1966から67の間でおこった。68年までにリコはアコースティックばかり作っていた。これらのギター製作本数は300本程度である。

Electrics
1968年にリコは最初のカスタムエレクトリックソリッドボディーを製作した。当時リコは多くのリフィニッシュとリペアをこなしていた。あるとき彼のアシスタントはもっとアバンギャルドなフィニッシュを開始したらどうかと提案した。当時リコはファンシーにペイントされたバイクに乗っていたからその話は受け入れられた。こうしてB.C.Rich伝統のワイルドなフィニッシュが始まった。

この年、顧客の一人がフェンダーのネックをもってきて、これにあうボディーを作ってくれるよう頼んでいった。”ギターが組み上がるとどうやって配線するかのアドバイスを受けるためにハリウッドまで行かなければならなかったことを覚えているよ。”リコは回想する。以来リコはエレクトリック街道を突き進み振り返ることはなかった。

リコのカスタムギターは基本的にギブソン、フェンダーモデルで彼のトレードマークである変形ギターが登場する70年代初期まで作られた。そしてB.C.Richは伝説になっていった。

GibsonのコピーとSeagull
1969年にリコは各10本のGibson EB-3ベースのコピー、ファンシーなインレイとマッチングヘッドのレスポールコピーからなる、初めてギターの量 産に取りかかった。それぞれマホガニー単版から削り出されていた。

初めてリコによってデザインされた変形ギターは1972年にデビューしたシーガルギターとベースであった。シーガルは二個のハムバッキングピックアップを搭載したシングルカッタウェイギターであり、特徴的な非対称の3対3のペグ配置のヘッドストックを持っていた。丸くなったボディ上方の低音弦側の中央には特徴的な突起があり(50sから60s初期のCarvinのデザインを思わせる)、カッタウェイ側のホーンは極端に下に曲がっていた。 シーガルはリコが初めてスルーネックを採用してデザインしたギターでもある。その後まもなくスルーネックはB.C.Richの代表的なモデルの特徴になった。当時アレンビックで有名なリックターナーを含むギターメーカーとスルーネックの利点について話し合ったそうである。スルーネックは殆どのシーガル及び他のモデルに70年から80年前半まで採用された。ボルトオンモデルも作られたがそれらは少数であった。

ヒールレスネックジョイント
リコのスルーネックの基本的な特徴はヒールレスネックジョイントで、これは完全に彼のアイディアである。これは現在でも多数の彼のギターの特徴となっている。B.C.Richギターの最初のエンドーサーはGuess WhoにRandy Bachmanの代わりにLead Guitaristとして加入したDominic Troianoだった。Troianoが最初のアクティブエレクトロニクスのユーザーであり、70年代を通 してRicoと共に仕事をしたNeil MoserをRicoに引き合わせたのも彼であった。

B.C.Rich ギターはオレゴン州セーラムにあるギブソンの親会社であるノーリンの傘下にあったL.D.Heaterによって販売された。このコネクションのおかげで、B.C.Richはギブソンのピックアップを仕入れることができ、極初期のモデルにはギブソンのハムバッカーが採用されていた。しかしながら、B.C.Richはコイルタップやフェイズリバースなどを特徴としていたため、ギブソンのピックアップは分解され4芯シールド改造されなければならず、言う間でもなくそれは非常に手間であった。B.C.Richギターが売れはじめL.D.Heaterコネクションからその分解改造事実を知ったギブソンが不快を表明したため、ギブソンのピックアップを使うことは長くは続かなかった。

DiMarzio、そして自社販売へ
リコは次にギルドのハムバッカーを使用しはじめたが分解しなければならないことに変わりはなかった。そして最終的に74年頃、リコはLarry DiMarzioに4芯のDual Sound ハムバッカーを作ってもらえるよう依頼した。答えは"No Problem"であった。1974から自社開発するまでの1986年まで、B.C.Richは様々なDiMarzioピックアップを採用することになった。 おそらくL.D.Heaterからの販売をやめて自社販売に変更したのはピックアップの変更と無関係ではないだろう。

Eagleのように飛べ(Fly like an Eagle)
シーガルは成功したが、プレイヤー達から角の突起が胸に当たるという不満が寄せられはじめていた。当時オリビアニュートンジョンのバンドでベースを弾いていたBill Bodineもそのひとりだった。75年頃、リコはシーガルのデザインをやり直しダブルカッタウェイ、突起なしにした。最初の頃はBodine Bassとして76年12月の広告に載せていたが、すぐにシーガルII、またはシーガルジュニアに変更された。76年の暮か77年の初期にはこれらの名前も消えイーグルと呼ばれるようになる。そう、イーグルはもともとはオリジナルシーガルのデザインを変更したものだったのである。

Imports: B.C.Rico
イーグルが発表された76年頃、B.C.Richは最初のインポートギターを扱いはじめた。東京に住んでいる友人を通 して、リコはいくつかのイーグルのコピーをB.C.Ricoブランドで輸入販売する準備をした。リコはこのブランド名をMade in U.S.Aと区別するために選んだ。これらのB.C.Ricoはスルーネック構造を持った非常に品質の高いコピーである。リコは誰がこれらのギターを作ったかを正確には思い出せないが、当時の高品質な日本のメーカーであったカスガの工場でつくられていたのではないかと思われる。

不幸なことに、B.C.Ricoは法律上の問題で消えることになった。Rico Reed companyがRICOブランド名の使用許諾を巡ってB.C.Richを訴え、最初のB.C.Ricoは結果 がでるまで出荷差し止めになったのである。RICOはバーニーの名字なので、B.C.Richは当然RICOの名前を使うことができた。しかしながら判決が下されるまでの間B.C.Richはどこで作られたギター(NJ、プラチナシリーズ等)に対しても単にB.C.Richブランドをつけて販売してしまった。このごたごたの結果 として最初のB.C.Ricoとして輸入されたものは非常にレアで、そのブランドが廃止されるまで150本程度しか輸入されなかった。

管理者コメント:これは興味深いですね。本当に76年かどうかは怪しいのですが、すくなくともWaveのB.C.Ricoブランド品があるのでもう少し年代的に新しいと思います。。日本では訴訟問題は関係なかったので普通 に売られたのでしょう。日本での発表は80年代初期だったと思いますが、マーケットはおそらくアメリカで輸出用がメインだったと思われます。もし本国で訴訟問題がなければ、今のように安物B.C.Richは存在していなかったと思うと残念でなりません。

モッキンバードを聴け(Listen to the Mockingbird)
この頃からものの動きが早くなった。76年にリコはモッキンバードもデザインしている。”モッキンバードはナプキンでザインの一つだ”リコを説明する。”我々は夜の11時にデニーズレストランに集まってコーヒーを飲みながらナプキンにギターのデザインを描いていた。私は奇抜なカーブを描いて”気に入った!”と言ったんだ。それがモッキンバードだ。最初のモッキンバードはショートスケールのベースだったよ。”

Bichin' guitars
”我々はノっていた”リコは続ける。再び76年、リコはB.C.Rich Bichも開発した。ビッチのデザインはギター製作者のDave Bunkerのコピーであると避難され続けてきた。しかしながら、これは正確ではない。それはコピーではなく、実際にDave Bunkerがアイディアを出したものだからだ。結果的に、四角いバンカーギターにイーグルの特徴をくっつけたものになった。これもスルーネック構造が採用されていた。最初のビッチの一本は76年10月にJoe Perryのもとに届けられている。

最初のビッチはリコの下で10弦ギター開発を考え続けていたNeal Moserのコンセプトによる10弦ギターだった。なぜ10弦なのか?答えは簡単である。実質的に12弦と同じだが、多すぎる弦を省いたのだ。基本的に、オクターブの違いや巻弦、プレーン弦による音質の違い(12弦ギターのユニゾンとは対比的に) を高音部リードプレイ用に採用した。同様に、それはリュートのアイディアを拡張したもので、リュートでは一弦のみ単音でメロ ディーを弾くために用いられそれ以外は副弦構成になっている。

誰が実際のB.C.Richデザインの責任者かということは、報告されているものとは少し違っているようである。リコの回想によれば、初期のB.C.Richデザインはビッチも含め複数の人のアイディアをだした共同作業で決まったようである。”全ての従業員がアイディアも持っていた。我々はそれを出し合い、形にしていった。ギターの形を切り抜いて高く掲げて”どう思う?”と言うと誰かが ”ここは少し切った方がいい”と言う。そしてそこを切ってみる。というふうにね。”

管理者コメント:この記事は全面的に間違いです。実際のデザインはNeal Moser氏一人によって行われました。これはB.C.Richの真実 by Mr. Neal Moserを参照下さい。

殆どのB.C.Rich ギター、特にスルーネックはハンドメイドだったためその製造作業は多くの熟練メキシコ人職人によるハンドカービングに頼っていた。その手作業の要素が初期のB.C.Richは同一モデルなのに沢山のバリエーションがある理由である。

Sons of a Rich and B.C. Charvels
説明した通り、代表的な初期のB.C.Richギターはスルーネックであるが、少数ながらボルトオンモデルも作られた。リコは76か77年からアメリカンメイドの廉価版をつくり出した。そのなかの一つがボルトオンネックのビッチ、Son of a Richである。少なくともこれらのいくつかは当時パーツビジネスに関わっていたWayne Charvelによって作られたボディとネックを持っていた。Charvelのネックは彼によって削られB.C.Richの工場に送られて来た。そこで最終的にリコのデザインにあうように削られ、ボディに取り付けられた。

Economy Nighthawks
78から79年頃、リコはイーグルの廉価版ボルトオンモデルであるNighthawksシリーズとモッキンバードの廉価版ボルトオンモデルのPhoenixシリーズも発表している。 B.C.Richギターについて気付いて欲しいことの一つはネックである。薄くてここちよいプロファイルに設定されている。指板はワイドで、それはあなたが誰かからフラメンコをプレイするように期待されても応えられるかのようにだ。

Warlock
ビッチは81年にワーロックが発表されるまで最新のデザインだった。”ワーロックは唯一製図台でデザインしたギターだ。ストレートエッジとフレンチカーブを用いたんだ。”リコは回想する。”沢山のカーブが直線に流れ込んで行く。最初は私のデザインしたギターの中で一番醜いギターだと思ったよ。”リコは続ける。”だけど、Shark IslandというグループのSpenser Sercombがオフィスにやってきて、壁にかけてあるそのデザインを見て”このギターはいつ作るんだい? 作ってくれたら買うよ”と言ったんだ。”そしてワーロックは生まれた。まもなくリタフォードが買ってくれ、モトリークルーのニッキーシックスもワーロックベースを買ってくれ、このモデルも順調に行ったんだ。

Six-in-line
このときワーロックベースとしてB.C.Richの片側6連ヘッドが登場した。81年以前は全て非対称3連のヘッドデザインであった。まもなくこの6連デザインは他のモデルにも採用されていった。

Acoustic hiatus
B.C.Richは82年にヘッドクラフトマンが亡くなるまで、熟練したメキシコ人職人によってアコースティックギターを作っていた。彼の代わりを探すよりも、アコースティックの製造を中止する決定をした。このことは当時のアメリカの経済不況とギター全体の売り上げが落ちていたことにも関係している。

Ironbird
ワーロックの後を追って、1983年頃ラディカルに角張ったアイアンバードが発表された。これはブラックサバスのトニーアイオミのお気に入りだった。

Riding the Waves
リコの次のギターは同じく83年に発表されたウェーブだ。”ウェーブベースは今までデザインした中で最高の出来だった。厚み、幅、そしてあの配置。重量 が広範に分散されて最高の倍音が得られるんだ。”これらのギターは非常に少量 しか製造されていない。

Stealth bomber
同じく83年に、基本的なデザインはリックデリンジャーの手によるステルスも発表された。”これは唯一誰かがデザインをもってきてそれと同じギターを作ってくれないか?と言われて作ったギターだ。”誰か、とはリックデリンジャーだ。このモデルは比較的レアで今までに150から175本程度しか作られていない。

Widow
この時期に作られた他のギターとしてウィドウ、別名スパイダーとも言われるこのギターは基本的にBlackie Lawlessのためにデザインされた。

Other rare birds
84年にもいくつかの興味深いデザインが登場する。コンドルとファットボブだ。コンドルは基本的にイーグルをアップスケールしたもので1インチ厚のフレームメープルトップとマホガニーバックの構成だった(これは後にイーグルアーチドトップとなった。)。

ファットボブはリコのバイク好きが反映されている。”当時私はハーレーダビッドソンに乗っていた。私は三台のハーレーを持っていて、そのうちの一台がファットボブというモデルだった。 我々はハーレーのガソリンタンクのようなボディのギターを作ったらかっこいいのではないかと思ったんだ。純正のタンクキャップをギターに取り付けるために、地元のディーラーから大量 にキャップを買い込んだよ。”

全ての製造期間を通して、ダブルネックは35本程度しか製造されなかった。これらは全て特注品だった。

Telecasters

その他のレアギターとしてテレキャスタータイプのTS-100/200がある。”我々はテレキャスターを作ったことがなかった。だけど作らなければならなかったんだ。それらは15本から20本程度しか作られなかったよ。”

Jazz Boxes

最後に、RTJGとRTSGというジャズギターもあげられる。L.Aのジャズギタリスト、Bill Contiへのアイディアが取り入れられている。”ContiはとてもB.C.Richを気に入ってくれていて、よく使ってくれていた。どうやって、実際に会ったことのない人への贈り物としてギターをデザインすればいいだろうか?私はアーチドトップのジャズギターで24フレットのヒールレススルーネックのギターを作ったんだ。最終フレットにはContiのインレイを埋め込んだ。”

NJ Series imports

B.C.Richは80年代中期までに大変な成功をおさめており、ディーンやクレイマーといった他のアメリカンブランドと同様海外生産に踏み切った。リコは83年の終わりに日本を訪れいくつかの工場をまわった。リコは日本の工場はアメリカの殆どの工場よりも品質管理が進んでいると感じた。その結果 アメリカのデザインのコピーであるNJシリーズが登場した。大部分の人はNJをニュージャージーと思うだろう。それは後にB.C.Richの本社がニュージャージーに移ったため容易に想像できるが、それは間違いである。NJとはNagoya Japanの意味であり、86年までNJシリーズは寺田氏と飯田氏によって作られていた。

335s and Diamonds

その他のこの時期のインポートものとして335 standardという容易に想像できるシンラインエレクトリックアコースティックモデルとダイアモンドシリーズというサウンドホールがダイアモンド形をしたシングルカッタウェイアコースティックギターに内蔵ピックアップが搭載されたモデルが登場している。このピックアップは寺田氏によって作られた。

他のメーカーと同様、その後まもなく韓国に主要モデルの製造拠点を移すことになった。84年にはアイアンバードに代表されるようなU.S.production シリーズが発表される。これは主要な部品が韓国で製造されたボルトネックギターで、部品はカリフォルニアの工場に送られ、組み立て、塗装がされていた。

管理者コメント:つまり、U.S製であってもhand madeでないモデルがある、ということです。最後にネジ一本でもU.Sでしめて出荷すればそれはMade in U.S.Aなのです。

84年6月のカタログには以下のギターが載っている。
Rich Bich 10-string, Bich Six and Bich Bass 8-string; the Eagle Bass; the Mockingbird Tremelo [sic], Mockingbird Supreme and Mockingbird Bass; the Warlock Tremelo and Warlock Bass; the X-shaped Stealth Tremelo and Stealth Bass; the Wave Bass; and the Ironbird Tremelo and Ironbird Bass Tremelo. All had diamond inlays except for the Biches and Mockingbird Supreme with clouds, and the Stealth which had no inlays. Most had the standard three-and-three headstock with pearl R logo; the Warlock and Stealth had the reversed six-in-line head, wile the Ironbird had the early angular six-in-line headstock. Vibratos were top-mounted Kahlers.

84年の U.S. Production Seriesカタログには以下のギターが載っている。
the Mockingbird Tremelo, Stealth Tremelo, Warlock Tremelo and Ironbird Tremelo. These had a single humbucking pickup and, except for the Ironbird, reverse six-in-line headstocks.

Korean NJs
86年、リコはクレーマーのDennis Berardiと、コートのJack Westheimerと共に東京にいた。彼等が東京にいる間、急激な円高により日本での生産は利益が低下していた。リコはWestheimerにコートでB.C.Richを製造してもらえるよう依頼した。86年以降NJシリーズは韓国のコートで製造されている。

Raves and Platinums
まもなくRaveとPlatinumという廉価版の別の韓国の工場で作られたシリーズが発表された。これはU.S.production シリーズは違い全てインポートだった。

これらの殆どはB.C.Richの代表的なモデルのコピーであり、もっとも多かったのはビッチタイプであった。

Assassination
U.Sに戻って、86年にAssassinがデビューした。 これはハムバッカーとシングルコイルのついたストラトスタイルで、角張ったリバースヘッド、インレイなしのエボニー指板という仕様だった。これは後のリコの別 ブランドであるMason Bernardsの原形になっており、新しいB.C.Richラインナップとして復活している。

86年からB.C.Richは自社製のピックアップを製造しはじめ、それは89年まで製造された。

Strats
87年にはST-IIIが発表された。これもストラトスタイルで、SSHまたは2H、ボルトオン、スルーネックの組み合わせがあった。同じくGunslingerも発表された。これもヘビーメタル用ストラトスタイルで、1H 1Vの仕様だった。”Gunslingerは$799で作ることができた最高のギターだよ。最上位 機種の$1399のGunslingerと比べてもネックはなんら変わりがない。”

殆どのこれらストラトスタイルギターは似たようなものだったが、中にはキルトトップメープルを採用したような豪華なカスタムモデルも存在した。

他のストラトスタイルとして面白いものにOutlawがある。これはST-IIIにドリルで穴をあけてハンドルをホーンに付けたようなギターである。最大で直径2インチの穴が開けられていた。穴はべベル加工されており、どんなボディーカラーでも穴の中は黒く塗られていた。同時期にInnovation Bassも発表されている。

いつからリバースヘッドに変更されたか聞いてみると、”変更したわけではないよ。リバースヘッドを追加してくれ、と頼まれただけさ。それをもっとポピュラーなストラトスタイルにも適用したんだよ。”とリコは答えた。

Class Axe
87年、リコはニュージャージーの会社Class Axeとマーケティング契約を交わし、同社ににRaveとPlatinum、NJについてのマーケティング、販売の許可を出した。87年のカタログには以下のモデルが掲載されている。

Platinum Ironbird, Bich, Warlock and Virgin guitars and basses. The Virgin was sort of a hybrid with a Warlock upper bout and a bell-shaped rounded lower bout designed by Class Axe in conjuction with Neil Moser. The NJ Series in that catalog included the Warlock, the ST superstrat and the Outlaw, which has become basically a Gunslinger with a reverse headstock. Also in the NJ Series were the ST, Mockingbird, Bich, Ironbird and Warlock which were built in Japan and assembled in California.

88年に、リコはPlatinumとRaveの名前をClass Axeにライセンスしている。実質インポートものはClass Axeがマーケティング、販売を行った。

Vacation
89年、リコにClass AxeのRandy Waltuchから、B.C.Richの名前をライセンス契約してくれないか、という依頼があった。約三年間の期限付きでお金を貰えてギター作りのことは心配せずに休暇がとれるためリコはこれを了承した。90年から93年まで、アメリカ製B.C.Richはニュージャージーで製造された。その間リコはB.C.Richの名前こそずっともっていたものの、会社をコントロールできる立場ではなかった。

Mason Bernard
休暇に入ったリコであるが、それも長くは続かず、別ブランドであるMason Bernardを新たに立ち上げた。Masonはリコの父のミドルネームであり、 Bernardは御存知リコのファミリーネームから由来している。

Mason Bernardギターは基本的にAssassinのようなスーパーストラトタイプのSSHレイアウトデザインである。”これは私が最大限に計算し尽くして作った最初のギターだ。値段のことは度外視して、ベストになるように作ったんだ。ディマジオは特別 にデザインしたピックアップを提供してくれたよ。”約225本のMason Bernardが90年から91年にかけて製造された。

Back Home Again
93年、B.C.Richの名前はリコの元に戻り、94年秋から復帰している。
カタログラインナップは以下の通り。
The 1994 B.C. Rich line included both neck-through and bolt-on guitars in many of the more popular shapes of the past. Back were the Eagle, Mockingbird, Bich, Warlock, Assassin, Ironbird, Gunslinger and ST guitars, plus the Eagle, Mockingbird, Bich and Innovator basses. The Eagle line was represented by the Eagle Arch Top, Arch Top Tremolo and Eagle bass. These have mahogany necks and bodies with a carved quilted maple top, ebony fingerboard, mother-of-pearl or abalone cloud inlays, twin humbuckers and either a fixed bridge or a Wilkinson vibrato system. Hardware could be black, chrome or gold. The non-vibrato guitar and bass had the old three-and-three headstock, while the Tremolo had the six-in-line layout. Colors were transparent red, blue, tangerine, purple or emerald green, or goldtop. List price was $1999.

Accoustics again
95年初めにアコースティックが復活している。B-41cというシングルカッタウェイのギターで、熱狂的な職人をプロジェクトに参加させている。”アコースティックギターは私の初恋さ”

Dating
80年代のものは少々不正確になるものの、スルーネックの年代鑑定は比較的容易である。最初のB.C.Richギターには"Proto"のスタンプが押されていた。これは72年から始まり、001,002と進むシリアルで340から360まで続いた。これはL.D.Heater時代のものである。74年に自社で販売するようになりシリアルシステムは変更された。これは5桁のシリアルで最初の二桁が年、下三桁が製造番号を表している。最初のギターは74000であり、74001、と進んで行く。70年代中期までは製造本数が少なかったためほぼ年代はあっていた。

管理者コメント:75年のシリアルは6桁のものしか確認されていません。最初の一桁が製造年末尾、次の二桁が製造月、最後の三桁が製造番号です。五桁になったのは76000のシーガルダブルネックからではないかと推測します。

70年代後半になると製造本数が増えたためシリアルが先行してしまう。そう、このシステムでは年間1000本までしか表せないからだ。80年には実際の年よりもシリアルはニ、三年位 先に進んでいた。 80年に購入されたベースは82595だった。年間を通してスルーネックは2200本を越えて作られることはなかった。80年代に入ってもこの差はどんどん開いて行った。81年には5年程シリアルが先行しており、この差はリコが会社を辞めるまで続いて行った。

ボルトオンネックはもっと不正確である。シリアルはネックプレートにプリントされ塗装が終わると誰かがプレートを箱からもってきて取り付ける。同じ五桁のナンバリングシステムであっても、89321のシリアルは87年製と思われるが、それよりも多少前後している可能性があるのだ。

Denouement
”B.C.Richギターで面白いのは当初からヘビーメタルブランドとみなされ、それによって成功したということだ。もしヘビーメタルに使われてなかったら今頃どうなっていたかわからないよ。誰かがヘビーメタルと言わなかったらB.C.Richには居場所がなかっただろうね。”とリコは言う。
”でもどうにも参ってしまうのは、いつだってネックのシェイプ、フィニッシュの品質ではなく変形ギターとして
有名になったということだ。”
B.C.Richギターがフラメンコギタリスト、Bernardo Ricoの手に戻り、復活のステージに立とうとしている今、古いB.C.Richギターに再び興味が集まっている。人々の評価も今後は変わって行くであろう。

 


Vintage B.C.Rich Maniacs!
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